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大会レポート
〜サロマ湖100kmウルトラマラソン〜
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サロマといえばカニ


サロマといえばえび
マラソントップ大会記録&予定
大会概要
日時:2005年(平成17年)6月26日(日)
◆100kmの部スタートAM5:00
スタート場所:湧別町総合体育館 ゴール場所:常呂町民センター
制限時間:42.195km及び50〜ゴールまでの10km毎に関門
(60km7時間35分、80km10時間などでゴールは13時間)
◆50kmの部スタートAM11:00
スタート場所:佐呂間町100年広場 ゴール場所:常呂町民センター
制限時間:30〜ゴールまでの10km毎に関門(最終関門7時間)

当日の天候
AM05:00 晴れ、気温15℃、湿度70%(湧別町)
AM11:00 快晴、気温19℃、湿度63%(常呂町)
PM03:00 快晴、気温25℃、湿度47%(  〃  )
PM06:00 晴れ、気温21℃、湿度70%(  〃  )
55kmまで使用したシューズ
55kmから使用したシューズ
コース 参加者概要
◆100kmの部
45km位まで平坦な道路が続き、47km地点辺りから急な登り。55kmのレストステーションを過ぎて少ししてから急な下りになり、63km辺りからゴールまで平坦な道路が続く。
◆50kmの部
スタートから15km辺りまでは上り下りが激しいが、その後は平坦な道路がゴールまで続く
申込者 出走者 完走者 完走率
100km 2,973 2,645 1,806 68.3%
50km 371 322 253 78.6%
合計 3,344 2,967 2,059
大会前日
【湧別までドライブ】
サロマ湖は初参加ということもあって勝手のわかっている先輩達と一緒に前日から会場入りして、大会後も一泊後月曜日に帰宅するという行程になった。
選手受付は2日前の金曜日から行っているが、我々のチーム一行は前日(土曜日)の受付と前夜祭を目指して数台の車で札幌を発った。
前日の朝から札幌を出発し、途中の砂川PAで他のチームの人達と合流し小休止。その後はひたすら高速を北上して国道39号線に降りてからは一路上川町を目指した。そして「ラーメン日本一の町」といわれ、ジャンプの原田選手の故郷でもある上川町で昼食のラーメンを食べた。我々は総勢15名ほどで『あさひ食堂』に向いお昼前ということで20名ほど予約があったようだが、「わざわざ札幌から来た!」ということで強引に入れてもらった。ラーメンの味はなかなかのものでさすが「日本一」を名乗るほどのことはある。
満腹になったわれら一行は39号線を更に東に向かい、今度は留辺蘂町の塩別温泉に入ることになった。そこは「つるつる温泉」というところで露天風呂が結構広くて熱かったがいい湯でした。
その後はゴール地点の常呂町に車を置いてくる組とスタート地点の湧別町組に分かれて目的地へそれぞれ向かった。
【前夜祭】
湧別に着いた我々は早速テントの張る場所を確保してテント設営に入った。スタート地点にはすでに数え切れないほどのテントが張られていて、この大会の規模の大きさを改めて思い知った感じだ。
受付を済ましてからは前夜祭まで少し時間があったので受付に出店しているショップを見ていると、近くでいい匂いがしてきた。なんとホタテをその場でどんどん焼いているではないか!受付をした人から順に食べられるようでみんな早速ビールを片手に美味しいホタテを賞味して前夜祭を待った。
サロマの名産ですよ!

そうこうしているうちに開会式が終わる時間になったようで会場に行くとすでに前夜祭(カーボパーティー)は始まっていたようでやや遅れをとってしまった。会場にいた選手達はにエサに群がるピラニアのように食事や飲み物に飛びついていたため、我々も負けじとビールやパスタを確保してその他の食事を物色した。約1時間ほどのカーボマラソンは終了し我々はテントへ移動して、2次会の準備にはいった。
意外にもアスリート達の2次会は凄い!翌日の朝5時には100キロマラソンを走ろうという人達がまるでススキノで飲んでいるかのようなペースで次々とビールの缶が空いていく。とても「明日大会なので…」とは言えない雰囲気だった(笑)ただ、さすがに100km組の人達が寝たそうな顔をしてきたので、50km組の人達も気を遣って「とりあえず21時で中締め」ということになり私もまもなく眠りについたが、他の人たちは夜中の1時頃まで飲んでいたらしい…
スタート前
【スタート準備】
大会当日は3時に目覚ましをセットしていたが、緊張のためか意外にも「スッ」と目は覚めた。
まだ外は夜中の暗さだったが、まずは水分補給と何か食べ物を摂らなくてはと思い近くのコンビニへ。周りはすでに身支度をしている人ばかりだが、私が一番心配していたのは大便である。いきなりこんなことを言うと「汚い!」と思われるだろうが、これから13時間近くも走り続けようとしているのだから普通の人が1日かけてしていることを全て走りながらしなくてはならないのだ。そう思うと早く食事を摂り便所を確保しなくては…と思う気持ちも分かってもらえるだろうか。私はもともと腸が弱く、食事をする度に便が出る。普段も1日2回は便をしているので100kmを走る間にたぶん3〜4回は便所に行くことを覚悟していた。そして最初の便を出した私は水分を徐々に摂りながらスタート地点へと向かった。
【スタート地点】
スタート地点にはAM4:30頃から人が集まっており私も最後の小便をしてからスタート地点へと向かった。ややお腹にゆるい感じがするのが気になったが、あとはスタートを待つだけとおもいほぼ最後尾の方でスタート時間を待った。スターとセレモニーには今回出場する間寛平がマイクで何か言っていたが、ややお腹が気になる今の私には何も聞こえなかった。そして遂にその時は着た!昨年まで全く考えもしなかった「100kmマラソン」、ましてや『ウルトラ』という名の付くものは人生で初体験だった。
スタート〜55km
【スタート直後】
遂に今年のウルトラマラソンがスタートした。どんなセレモニーだったかは忘れたが、スタートラインまで随分時間があったことだけは覚えている。後で記録を見たらスタート地点の通過時間が2分45秒になっていた。まぁこれから13時間も走ろうという人間が2分や3分でケチケチしてはいけない。
スタート後は体育館から湧別町の街中を通りもう一度体育館に戻ってサロマ湖に向かう。スタートしてから1キロくらい走っただろうか、何かお腹の調子が悪い。そして湧別町の街中に入り町民の人達の応援が目立って来た頃、スタート前の嫌な予感は当たった。明らかに『下痢』だ!すぐに近くの便所を探したがそういうときに限って見付からないものだ。程なくして公衆便所を見つけた私は真っ先に駆け込んだが、中にはすでに7、8人の選手が大便の順番待ちをしていた。「オーマイガー!」と天を仰いだが、すでに漏れそうになっていた私はそこでひたすら待つしかなかった。先に待っていた数人があきらめてスタートする中、私は順番を待ち15分くらい経っただろうか、やっと私の番になり事なきを得た。もちろん普段の習性から嫌な予感を感じていた私はティッシュを持参していたためトイレットペーパーが切れたトイレにも対応できた。
「さぁここからが本当のスタートだ!」と意気込んででた私を迎えたのは、すでに片付けられていたコース上で「あら!まだ居たの?」というビックリした声と長いトイレから出てきた私を見つめる冷たい視線…私は周りで片付けているボランティアの人達に引きつった笑顔を振りまきながらややペースを上げた。前も後ろも誰も居ないコースを進み再び体育館に戻った私をスタート地点で出迎えた人たちは、明らかに「まだ居たよ」みたいな顔をしていた。たまたまそこに居た知り合いの人に「どうしたの?」の声をかけられた私は思わず「下痢しちゃって…テヘッ!」と言うと周りの人たちは大笑いしていた。
【〜10km】
スタート後のトラブルも最小限に押さえた私の後ろにはすでにパトカーが迫っていた。気が付くと私はいわゆる「ビリ」になっていた。スタートと例の下痢で25分位ロスした私は遅れを挽回しようとペースを上げ、1キロを5分30秒位のペースで走っていただろう。
当初の目標を1キロ7分と決めていた私にとって明らかな不安要因だった。しかし、そうこうしているうちに前の選手がかすかに見えてきた。「やっとこれでビリから開放される!」と思うとますますペースは上がっていく。3キロ地点くらいで最初の1人、4キロ地点くらいで2人目を抜いた私は5キロ地点では後ろから4人目となっていた。その後も順調に順位を上げていった私は10km辺りで同じチームの「Iさん」を見つけた。スタート後に下痢で遅れをとったことを告げると私はIさんに別れを告げて本来のペースで前へと進んでいった。
10〜20km
10kmを過ぎて走りが安定してきた私は、次に兄弟チームの「Tさん」を見付けた。そのTさんは六大学出身のエリートなのにとても面白い人でいつも我々を楽しませてくれる。そこへ50km組の人達が車で応援に来てくれた。やはり同じ志を持った人の応援は力になる。そろそろお腹もすいてくると思い水分だけではなく、バナナ・レモンも補給しておいた。
しばらくTさんと一緒に走っていると今度は同じチームの「Fさん」を見付けた。Fさんは背が高くいつもポジィティブな教員なのだ。Fさんは昨夜遅くに札幌を出てきてほとんど寝てないそうなのでここはTさんと一緒にスルーして先へすすんだ。
【20〜30km】
20kmを過ぎてからやや細かい上り下りが目立ってきた。スタート時から天気は良かったが、朝も8時頃になると日差しがきつくなってくる。しかし、地元の高校生と思われる女の子達が「頑張って下さ〜い!」とか「ガンバで〜す!」と黄色い声をどんどんかけてハイタッチなんかもしてくれる。これは頑張らなくては…と思う自分が少し可愛かった(笑)
ややきつい上りが見えた頃Tさんが「もうダメだ、先に行って下さい」と言ってきたので私はTさんに「絶対に歩いちゃダメですよ!」と言い残して目の前の上りを1人で登っていった。
【30〜40km】
30kmを過ぎた辺りだろうか、今度はまたまた兄弟チームの「Oさん」を見付けた。Oさんは私より年上だが体がガッチリしていてスタミナがある。そこからしばらくはOさんとマラソン談義&世間話をしながらのランとなった。マラソンの練習方法やこの夏に行われるトライアスロン大会のことなど…話は尽きなかった。この辺りからコース上を歩いている人が目立って来た。
【40〜55km】
「42.195km」
言わずと知れたフルマラソンの距離であるが、なんとウルトラマラソンではここが最初の関門になる。ここを5時間30分以内に通過出来ないとその人はバスに乗せられゴール地点まで約1時間の傷心バスツアーになってしまう。事実、この関門を通過した直後から歩いたり棄権する人が多いらしい。
市民ランナーにとってフルマラソンを5時間30分で走るのはわりと簡単なことである。しかし、我々はここから更に57キロ以上を走らなくてはならない。「1キロ7分ペース」が至上命題の私達にとってここからが本当のマラソンである。
コースの図面を見ると47kmから58kmまでは高低差35mの上り一辺倒となる。この上りをいかに歩かずに登りきるかが完走の目安となるのだろう。実際この上りは歩いている人がかなり目立ってくる。はっきり言ってつらいが、私の隣にはOさんがしっかり付いている。お互いに前に出ようと思えば出れたのだろうが、それが今後にどう影響してくるのか解らなかったと言うか自信がなかったのかもしれない。とにかく55km地点のレストステーションまで歩かずに同じペースを保つしかなかった。
レストステーション(55km地点)
遂に55km地点のホテル緑館までたどり着いた。確か時間は11時25分頃。ここはほとんどの選手が着替えをしたり小休止したりするひとときのやすらぎの時間となる。
Oさんとは「11時40分頃には出発しましょう」という話にはなっていたが、私には大便タイムが必要だったので「お互い時間になったら出ましょう」という話をした。

私はまず軽く水分とおにぎりを摂ってホテル内のトイレへと急いだ。
予想通り大便の方にはすでに7人の選手が並んでいたが、ここで焦ってもしようがないのでしばらくストレッチをしながら順番を待っているとやっと私の出番が来た。満を持して大便をしようと便座に座ったがなかなかでない。かといって無理にするものでもないし時間がもったいないので、いったん外に出て更衣室で着替えていると思わぬ人を見付けた。
最近同じスイミングスクールで見かける「Sさん」だった。私は思わず「Sさ〜ん!」と声を掛けたがよくある苗字なので本人も自分だとは思っていないようだった。3回くらい声を掛けた時にようやく気付いたようで、「Sさん!こんなところで出会うとは」お互い出ることは知っていたがまさかレストステーションで出会いとは何という偶然だろうか。
Sさんに出会ったことで妙に元気になった私は帽子以外の身に着けていたものを全て着替え、インソールがはがれて痛かったシューズも思い切って履き替えた。雨で濡れた場合の為に持ってきてたのが役に立った。気持ちも新たに後半のスタートを切ろうと思ったが時間はすでに11時47分。Oさんはすでにスタートしていた。
55km〜80km
【55〜60km】
レストステーションを出てから気付いたのだが、次の関門が迫っていた。60km地点の関門時間が12時35分、ということは残り5キロを47分で走ればいいのだが、そんなペースで走っていてはその次の関門がややキツくなる。しかし、ここからは上り下りが一番きつくなる所だからとにかく「1キロ7分」を心掛けようと決めて何とか関門締切の10分前に60kmを通過した。
【60〜70km】
60kmを通過してからはほぼ平坦な道が続く。しかし、体力的にかなりつらくなってきており給水の時にストレッチでもしようかと思っても足が曲がらなくなっていた。いや正確に言うと一旦ひざを曲げると伸ばせなってしまう。こんな体験は初めてだ!しかし、ストレッチは必要だ。無理してでも曲げ伸ばしをしておかないと本当に足が固まってしまう。私は鬼のような形相をしながらストレッチをしていた。
しかし、この60〜70kmの区間は後で思うと一番つらかったと思う。とにかく関門時間まで時間がないが走り続けるには気持ちがかなり弱っていた。周りは3人に1人が歩いている状況で「少しだけ歩こうかな…」と言葉が何度も頭をよぎった。更には「ここまで来たんだからいいだろう」という諦めの気持ちが前面に出るようになってきた。そう思っていた頃、レストステーションで出会ったSさんを再び見付けた。Sさんはきつい表情の中にも眼だけは諦めていないように思えた。お互いに励ましあいながらも抜いたり抜かれたりという状態を維持し何とか70km地点を締切8分前で通過した。
【70〜80km】
やっぱりこういうのを履くと楽なのか?
70km地点を通過した私はほとんど「もうこれで充分だろう」という気持ちになっていた。「初出場で初完走」という思いと「初出場で完走は無理だろう」という気持ちが半々になって、ほとんど足が止まりそうになっていた。後で資料を見るとこの辺で最高気温を記録していたようである。熱中症や脱水症というより足が自分の物ではないような間隔に襲われ、おかしなことを考えるようになっていたのかもしれない。
しかし、ここで三度Sさんと抜きつ抜かれつの状態となりまた少しづつ闘志が沸いてきた。80kmが近づくにつれ係員の人が「80km地点の関門締切まで間もなくです」というマイクアナウンスが聞こえ、「まだ間に合う」「もう間に合わない」という可能性が半々の状態で必死に走った。後にも先にもあんなに一生懸命走ったのは無いんじゃないかというくらい走った。そして残り500mを切った辺りで「行ける」と確信した。そこにはちょうど給水所があり少しの水とウィダーインゼリーを飲んでスパートした。しかし、そこからワッカの山に入りまだかまだかというしつこいくらいの細い道の上りが続く。残り3分半で80kmの関門もクリアした。
80km〜ゴール
【80〜90km】
80kmの関門をクリアすればその後は10kmを90分かけて走れる。そうわかってはいてもこのワッカの道のりは険しい。とにかく先が見えない。上り下りの坂自体は足にくるほどではないが、何せ道が狭いのでどの辺が何キロ地点なのかどこが折り返しなのか全く見えないところなのだ。そこへ折り返してきた兄弟チームのリーダー格「Kさん」を見付けた。なんとKさんは今の私には禁句の凄いことを言ってくれた「まだまだあるよ」…気を引き締めようと思って言ってくれたんだろうが、この先が見えない状態に耐えられなくなった私は遂にキレて歩いてしまった。気持ちの中では「もう無理だ」「もういいだろう」という気持ちが8割くらいまで上昇していた。
歩き出した私はそこから何度も走り出そうとしたが、足が言うことを聞いてくれない。もう完全に自分の足ではなくなっていた。
500mくらい歩いただろうか。でもその距離は5キロくらいに感じるくらい長い休養だった。そして、このまま歩いていては本当にダメになってしまうと思った私は走り出した。気持ちを切り替えて走り出すと意外と走れるものだ。
そうこうしているうちに今度も折り返しので別の兄弟チームの「Mさん」を見付けた。Mさんはなんと残り少ないスプレー缶を私に貸してくれた。本当に残り少なかったので申し訳なくて少ししか使わなかったが、その気持ちが嬉しかった。Kさんの厳しい言葉とMさんの優しさで完全に生き返った私は、85km地点のスイカを食べながら初めて「完走できるかも…」と思った。
【90〜ゴール】 あのスイカは実は本州産だった!


80km地点ではあっという間に無くなります
90kmの関門をクリアして完走が現実のものとなってきた。そう思った瞬間思わずウルウルときた。まだ完走したわけでもないのにそう確信したのは、足が意外にも丈夫だったからだ。90kmを過ぎて休養の意味で少し歩いてしまったが、後はしっかり給水と補給をして残り数キロを歩かなければ間違いなく完走できる。
しかし、その油断がその後の悲劇を呼び起こした。93km辺りで同じチームのSさんを見付けた私は、なんとSさんを抜きながらスキップをしていたのである。それも周りで死にそうに歩いている人が眼を丸くして見ている中、しばらくの間私は調子に乗ってスキップをしていた。
今思うとなんて軽率なことをしたんだろうと思うが、その時は「完走できる」喜びを体で表していたのだろう。
案の定それからしばらくして左足の裏が異常に痛くなってきた。たぶん97kmから99kmの2キロくらいは歩いたと思う。おかげで最終関門の15分前までもつれてしまったが、最後はとても清清しかった。「感動で涙が出るぞ」と先輩に言われていたが、既に90kmでその儀式は済んでいたので最後は笑顔でゴールした。
最後に
「ウルトラマラソン」なんて言葉は誰が考えたんだろう。まさにこれはウルトラ級のスポーツである。某テレビ局で24時間テレビの最中に100kmを走るなんて企画をやっているが、本当にたいしたもんだと思う。
普段フルマラソンを走っている我々でさえも100kmと聞くと「俺はいいよ」「そんなに走ったってケガするだけだよ」と敬遠してしまうものだが、全くの素人がいきなり100kmを走ろうというんだから恐れ入る。
ちなみに100kmを24時間で走るためには1時間で約4.2km進まなければならない。いわゆる時速4.2kmということだ。人間の歩くスピードが時速4〜5kmと言われているんだから、24時間休まずに普通に歩き続けたら100kmになるんじゃないか…と言う計算になる。しかし、人間は24時間起きているだけでも大変なのに24時間運動し続けるなんてちょっと考えられないことだ。
そう考えるとあのM弁護士は凄いことをやったんだなと思いますね。
100kmを13時間以内で走った私が言うんだから間違いない。

参加賞のTシャツとタオル
完走者にはメダルが